Back Number
人気ブログが集結!
MSC人気コンテンツ GALコレクションはコチラ♪


EXPERT STORY
エキスパートストーリー

Mチャレ出場者がドリフト世界デビュー! マカオGPで、魅せた、湧かせた!!(2/2) | ドライバー/望月大地

常に攻める過激なドリフトスタイルで、日本全国のサーキットを攻めまくった望月大地選手。その彼が世界で注目を浴びた瞬間、そしてこれまでのドリフト人生をインタビューしてきたぞ!!
TOP > エキスパートストーリー > 望月大地 > 特別インタビューその2
エキスパートプロフィール
1 / 2

誰もが夢見た「マカオGP」でのドリフトショー。そのメンバーの一員として、日本からマカオへ向かった男、望月大地。僅か3年というドリフト歴で、世界のモーターファンの前でドリフトを披露した。そんな望月大地選手のドリフト人生に迫る。

望月大地 特別インタビューその2
「事故で亡くなった後輩のソアラを受け継ぎドリフトを始め、その頂点を目指す!」

> MSC(以下省略):さて、今度は望月選手のことも質問していきましょう。まず、ドリフトを始める前の望月選手のカーライフを教えて下さい。

望月(以下省略):僕は19歳で普通自動車免許を取得し、すぐに車を購入しました。最初に買ったのは、レガシィ ツーリングワゴン。ちょうどその頃、ステーションワゴンがブームで、そのブームに乗って購入しました。


そのレガシィも、ノーマルで乗っていたという感じではなく、かなりイジりましたね。エアロやビルシュタインの足まわり、それにホイールとか…。その頃ホイールは、まだ16インチでも「大きいね」と言われた時代です。だから僕も16インチのボルクレーシングを履いて、エアロもカッコイイものを取り付けて、エンジンもちょっとイジって。


このレガシィでは、ゼロヨンをやったりしていました。エンジンは2基ブローしましたね。これはブーストをかけ過ぎたためです。その頃の僕は本当に無知でしたね。速く走りたい、だからブーストをかければいいと思っていましたから。


その後はアメ車ですね。根拠はないのですが、その頃僕は「車はデカけりゃエライ!」と思っていました。アメ車は、見た瞬間にひとめ惚れって感じですね。アストロから始まって、色々なアメ車に乗りました。コルベットやシェビーバン、ハイドロの入ったタウンカーなんかにも乗りました。


アメ車は何度乗っても飽きませんでした。あのデカさ、丈夫さなど、全体的なおおらかなイメージも含め、魅力たっぷりな車だと、今でも思っています。


>そんなアメ車に惚れ込んで、30歳くらいまで乗って、そのあとでドリフトもやるようになったのですね。

ドリフトを始める前、カートをやっていた時期もあるんです。カートには小さい頃から憧れていましたから。カートを始めたのは約4年前の、30歳になるちょっと前の頃です。それまでも「カートをやりたい」と思っていたのですが、なかなか始められませんでした。


そんなとき、APG(オートパラダイス御殿場)が出来上がったということを知りました。僕は興味があったので、APGに見に行ったんです。でもただ見ているだけではつまらない。APGにはレンタルカートがあったので、早速それに乗りました。「これって楽しいじゃん!」と、正直思いましたね。カートでサーキットを走ったのは、その時が初めてでした。

>それで、やりたかったカートをやるキッカケとなったわけですね。

そうですね。でもその日、レンタルカートに乗った瞬間に、カートをやるって決めたから、もうカートが欲しくてたまらなくなりましたね。


このサーキットにはショップが何件かあったので、ボロボロで安いものでしたがその日のうちに中古カートを購入しちゃいました。そこからカートにハマリましたね。月に2、3回はそのサーキットに通っていたくらいですから。


>カートに乗り始めて約1年後から、望月選手はドリフトを始めるワケですが、カートからドリフトへ転向した理由はありますか?

元々ドリフトには興味はありましたが、ソアラに乗るまで実際にやったことはなかったんですよ。僕がドリフトをやるきっかけ……というかJZZ30ソアラに乗ることになったのは、僕の後輩がバイク事故で亡くなったことから始まりました。


その後輩というのは、地元の遊び仲間。色々な遊びをやったり、飲みに行ったりしていた仲間です。そいつは前からJZX90や100チェイサーに乗ってドリフトをしていましたが、ソアラが発売されたときから「ソアラに乗りたい」とずっと言っていました。


ある日そいつが安いソアラを見つけたんです。たまたまその時、彼はJZX100でクラッシュして、車が無い時期でした。ソアラを手に入れた彼は、車屋で働いていたので、自分で直しながら、そのソアラをキレイにしていきました。オールペンなどもやってましたね。


ツアラーVに乗っていたときは、タービン交換なんかもしてあり、かなりイジってあったんですが、そのソアラはノーマル・オートマで、エアロとホイールだけ換えてあるという状態でした。「これをマニュアルに載せ換えて、俺またドリフトを始めますから……」と話していました。そんなことを言っていた矢先だったんです。


その後輩が仕事を終えて彼女の家にスクーターに乗って向かっている最中に、事故が起きました。その事故とは、交差点で右折車に巻き込まれたのです。車にぶつかってから、少しの間は意識があったとのことでした。ただ、かなりお腹から血を流していたらしいんです。救急車で病院に運ばれ、治療を受けた病院でも7時間くらい頑張っていたのですが、しかしその後、息絶えてしまいました。きっと、もっと生きたかったんでしょうね、瀕死の状態のなかで、7時間も頑張っていたワケですから。


彼のお葬式や、色々なことが終わったとき、「このソアラをどうする?」ということになりました。走り屋の仲間たちも「この車は走らせてあげたい」という気持ちを持っていました。しかし実際に誰が乗る? ということになったんです。みんな自分の車もありますからね。


そのとき僕はコルベットに乗っていましたが、ドリフトにも興味を持っていたので、「なら、そのソアラ、俺が乗ってみてもいいか?」とみんなに聞きました。それでそのときに譲り受けた彼のソアラに乗り、僕のドリフト人生がスタートしたんです。でも最初は、ここまでドリフトにハマるなんて思ってもいなかったですね。僕が動かしてやろう、大切に乗ってやろうと思っていただけだったんですから…。


僕はまず、そのソアラのミッションを、オートマからマニュアルに載せ換えました。もちろんあいつの夢を叶えてやるためです。それから乗り始めて何ヶ月かしたとき、「この車でドリフトの大会に出場してみたい」と思うようになりました。とにかくこの車を、そういった場所に連れて行ってやって、そして優勝させてあげることが出来たら……という気持ちが僕に芽生え始めました。

>ドリフトをするためにソアラを手に入れたわけでなく、後輩の想いが望月選手をドリフトに導いたワケなんですね。

僕が「このソアラで大会に出場してみたい」と思ったとき、たまたまMSCチャレンジが出来た年で、周りの人間も「面白い大会だよ」と言っていたので、その大会に彼のソアラを出してやろうと思いました。


僕が初めてMSCチャレンジに出場したのは、たしか日光サーキットで行われた大会だったと思います。そのときは車も黒から白に塗り換え(写真・右)、キレイに仕上げていました。ロールバーなども入れて、車的にはかなり良くなっていたと思います。


しかし僕のウデがまだ全然ついてきていない。もちろんウデはビギナークラスレベルです。そんな状態でしたが、僕はエキスパートクラスにエントリーしました。大会では当然のように予選落ちでした。何故エキスパートクラスにしたかというと、大会に出場する前に周りの人間に「センスはいいね」とか「走りはイケイケだね」なんてことを言われていましたから、だったら上のクラスからスタートしてやるって思っちゃったんですね。


練習しているときは、何度も突っ込みましたね。ソアラは何度も修正機に載せるくらい、とにかくぶつかりまくりました。当然「ヤツの形見の車を、そこまでやっちゃっていいの?」とか言われましたが、それが僕の走りでしたし、僕がこうやって走っていることが、優勝まで行くためには正しい方法だと思っていましたから、自分の信じるやり方で練習し、ガンガン走ったって感じでしたね。


そんな感じで走っていましたから「大地はビギナークラスじゃないよ。ビギナーの走り方じゃないもん」と言われ、「それならミドルも飛び越して、最初からエキスパートでチャレンジしてやるよ」と意地を張ったんです。基本的に僕は負けず嫌いなんで。


それで何度もエキスパートクラスで、ドリフト大会に出場しました。5回出場して、5回共に予選敗退。当たり前といえば当たり前の結果ですが、それでも僕はめげずに練習して、必死で大会に挑みました。その結果、2006年10月にエビスサーキット南コースで行われたMSCチャレンジ・エキスパートクラスで優勝することが出来ました。


僕がソアラに乗り始めたのが2005年10月くらいですから、ドリフトを始めてちょうど1年で、目標である優勝を手に入れました。後輩もソアラも喜んでくれたと思います。壊しては直し、そして走らせるといったことの連続でした。勝手に僕が思い込んだことですが、後輩との約束も果たせたような気がしました。


>たしかにスゴイことですよね。でもそれだけ、人の倍以上頑張っていたからこそだし、望月選手自身のセンスもあると思います。

僕自身、相当な努力をしたと思います。自分で言うのもなんですが、これだけの努力をしているのだから、絶対に夢は叶うと思っていましたね。サーキットの走行会でも、1日で沢山走り込みたいからと、ダブルエントリー、ときにはトリプルエントリーして、サーキットにいったら一日中走りまくりました。


タイヤも半端じゃなく使いましたね。そんな感じで走行会にエントリーしていたので、タイヤも足りなくなるからと、トランクの上にもタイヤをくくりつけて行ったり……。かなり必死でしたね。2006年は、とにかくひたすら走った1年でした。


>そんななかで、エビスサーキットでMSCチャレンジの頂点に立ったワケですが、2007年はあまり成績を残せませんでしたね。

エビスのMチャレで優勝したとき、エンジンはかなりのハイスペックになっていました。そんな仕様で優勝したのですが、その後、そのエンジンはブローしてしまいました。それからはガタガタでしたね、僕も車も……。


ブローした後も3基くらいエンジンを壊し、ミッションも壊し……直してもまたすぐに壊れるといった感じでした。

>2008年にスーパークラスが誕生しました。そのときは、望月選手的にはどんな感じだったのですか?

2006年に優勝したじゃないですか。でも2007年は全然勝てなかった。勝てないどころか決勝進出は1回だけという不甲斐ない結果。


とにかく車を作っている時期で、走っては壊れ、そして直し、また走っては壊れの連続でしたからね。車に慣れるということすら出きませんでした。この年は1ヶ月もまともな状態で、車に乗れるという時期はありませんでしたね。それだから腕も上がらない。とにかくトラブルとの戦いでした。だから2008年は少しでも多く走りたいという気持ちが、より強かったんだと思います。


そこでMSCチャレンジにスーパークラスという、エキスパートクラスの上のカテゴリーが出来たときに、有無も言わずこのクラスに出ようと思いました。そこでこの年は、MSCチャレンジのスーパークラスに全戦出場しよう、この大会を追ってやろうと思い、全戦出場しました。



>たしかに2008年の望月選手には、気迫タップリという雰囲気が漂っていましたね。

2007年も車が壊れなければ、十勝(北海道)などもエントリーしていましたし、備北(岡山)にも行きました。結構遠征もしましたね。たしかにそういったことは自分にとって良い経験にはなりましたが、なんせ結果が出なかった。


そんな2007年の悔しい思いもありましたし、スーパークラスはシリーズポイントが付くので、シリーズがかかっている。そうなると当然、全戦出ないと気がすまない。それで他の大会は無視して、MSCのスーパークラス1本に絞りました。もちろんD1ストリートリーガルとかもありましたし、D1グランプリだって盛り上がっている。そんななかで自分のお金や車の状態のことなども考えて、この大会1本に絞ったんです。


その甲斐があってか、初戦である鈴鹿ツインサーキットからポイントを獲得しました。これには色々な経緯があるんですよ。


2007年の最後に、あまりにもエンジンが壊れて、車も壊れて、本当にダメなときに、前から良くしてもらっていた「クニーズ」の高橋邦明さんに、「お前、そんなんじゃ、来年も勝てねーぞ」と言われたんです。僕もそれはわかっていました。散々エンジンもミッションも壊れましたから……。で、どうしようと考えていたときに、高橋さんが「なんとかしてやるよ」と。


そこで高橋さんのエンジンを作っている人を紹介してもらい、たまたまその人が昔作った1.5Jのエンジンがあって、それを購入して高橋さんのクニーズで車のほうもメンテしてもらいました。2008年はそのおかげもあって、全戦大きなトラブルもなく、出場することが出来ました。


高橋さんは、車を見てくれただけじゃなく、来られる大会には来てくれてスポッターもやってもらいました。それに練習をするときも、良く来てくれましたね。本当に高橋さんには、走りの面でも車の面でもすべて面倒を見てもらいました。

>それが大会に出場するにあたって、大きな力になっていたのですね。

ひとりでやっていたのでは、走り方とか分からないじゃないですか。外からの見え方と中からの見え方では違いますからね。それまでの僕は、ガムシャラに走っていましたが「ただガムシャラに走ったってダメなんだよ」と高橋さんに言われました。高橋さんはこれまでの経験をもとにしたアドバイスを沢山していただきました。「やっぱりこのラインでこういう走りをしないと勝負には勝てないんだよ」といったことまで教えてもらいました。


たしかに僕も、最初は何を言われても納得がいかないことだらけでしたよ。僕の走りたいように走れないんですからね。高橋さんに無線で「お前、そこじゃないよ」とか「何でお前はそこを走るんだ」と言われ、「でも俺はこう走りたいんですよ。このほうがカッコイイと思いますよ」「いやそんなことはない。絶対そこは審査対象外だ」と、色々な自分の偏った考え方を打ち砕いてくれました。


そんな感じで毎戦、戦っていくうちに色々学習していきました。2006年は自分にとってまだ中途半端な時期に優勝してしまっていただけに、自分にも変な自信がありましたし、僕はイケてると思っていた面がありました。自惚れですね、それって。


でも2007年には勝てなくて苦しんで、かなり辛い思いもしてきました。そのとき周りから言われていたと思いますよ。「あいつ一発屋でしょ、たまたま運が良くて、エビスで勝っちゃっただけでしょ」なんてね。


「そうじゃないと、ドリフトを始めて1年目で勝てねーよ」そんなことも言われていたと思いますね。それは悔しかったですし、それならスーパークラスを全戦出場して、良い成績を残してやろうと思いましたね。でも他の参加者もみんな上手いですからね。簡単には勝てません。


結局、練習走行でドライブシャフトが折れてリタイアしたDEC(九州大会/熊本県)以外は、すべてポイントを獲得することが出来ました。2008年はドライブシャフトを5本くらい折りました。それくらいですね、大きなトラブルというのは。ミッションはシーズン途中からゲトラグに載せ換えましたので大丈夫でした。


>スーパークラスは、シリーズ4位、最高順位3位という結果でしたね。

2008年のMSCチャレンジ・スーパークラスは、たしかに納得まではしていませんが、満足のいく結果だったと思います。自分では出来る限りやり切ったと思っていますし、2008年はかなり満足しています。


最終戦の茂原ツインは、僕にとってホームコースですからね。ここではなんとか良い結果を残したいと思っていました。この大会で僕は、妥協もせずミスもせずすべて出し尽くした大会だったので、それで3位だったというのは、今の俺の実力だと思っています。


>2008年にやり残したことっていうのはありますか?

ありませんね。あったとしても、それは今年やれば良いことですから……。ただひとつだけ僕にとって残念だったのは、自分がドリフトを始めるきっかけとなったソアラで、マカオを走れなかったということですね。ソアラを世界のみんなに見てもらえたら…それは、もちろん叶わぬことですが……。


でも僕にとって、最初の想いはそこにあるのですから。ソアラに乗って大会で優勝する。あいつの代わりに、あいつの好きだったソアラを走らせるというのが、僕の最初の目標でもあり、ゴールでもあったワケですからね。


でも日本で、MSCを通じてそういった過程があったからこそ、今回のドリフトショーへ出演できたので、そのキッカケを作ってくれたソアラにも感謝しています。あのソアラがなかったら、僕はマカオにも行けなかったワケですし、ドリフトというものをやっていなかったと思いますし……ね。


>今後の望月選手について、少し教えて下さい。

ドリフトを始めて3年経ちました。今年で4年目になります。今の僕を一言でいうなら、まだ通過点です。ここで終わらせないですし、終わりにしたくない。ドリフトを何十年も続けるかどうかは、まだ分からないですが、2008年が決してゴールではないと思っています。ゴールはこの先にありますから。


2009年はMSCチャレンジもさらに成長しているので、そこにも関わっていきます。MSCは僕たちにとって集まる場所であって、そこに走る人がいないと前には進まない。最終戦の茂原ツインは、やっぱりこのスーパークラスはすごいと、見ていたみんなも言っていました。走りのレベルも違うし、見ていて面白いし……と。出ていた僕らはそれをアピールすることが出来たと思います。


>現在、またカートにハマっているらしいですね。

2006年から2008年まで、ドリフト一色だったので、2009年はそれ以外のこともやっていく年にしたいと思っています。昔やっていたカートも積極的にやりたいな、と。


真剣にレースに取り組んで、カート人生のほうもエンジョイしようかなと思っているんですよ。自分のサーキットの原点に一度戻って考えてみようと思っています。だから今カートをやろうと思っているんですよ。


カートは4輪の原点ですし、走りの原点でもありますから。F1ドライバーもここからスタートしている人が多いですしね。あとはレースに出て、結果を残せれば、また違った光が見えてくるかな? と…。


だからといってドリフトはやめません。ソアラがありますしね。2009年はドリフトのスタイル自体も変わっていくと思うので、それに上手く接していきたいと思いますね。


僕は、幸運にも今まで良い経験をさせてもらいました。そういった面でも、あのソアラやそして今まで携わってきた人全員に、心から感謝しております。(了)

1 / 2

エキスパートプロフィール

MSC TOPへ | エキスパートストーリーTOPへ
プリントアウト
※別ウィンドウで印刷用ページが開きます。



ページTOPへ
ログイン 個人情報保護方針 サイトポリシー リンク/広告掲載について インフォメーション お問い合わせ
  Copyright © 2008 MSC Corporation All Rights Reserved.