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>たしかにスゴイことですよね。でもそれだけ、人の倍以上頑張っていたからこそだし、望月選手自身のセンスもあると思います。
僕自身、相当な努力をしたと思います。自分で言うのもなんですが、これだけの努力をしているのだから、絶対に夢は叶うと思っていましたね。サーキットの走行会でも、1日で沢山走り込みたいからと、ダブルエントリー、ときにはトリプルエントリーして、サーキットにいったら一日中走りまくりました。
タイヤも半端じゃなく使いましたね。そんな感じで走行会にエントリーしていたので、タイヤも足りなくなるからと、トランクの上にもタイヤをくくりつけて行ったり……。かなり必死でしたね。2006年は、とにかくひたすら走った1年でした。
>そんななかで、エビスサーキットでMSCチャレンジの頂点に立ったワケですが、2007年はあまり成績を残せませんでしたね。
エビスのMチャレで優勝したとき、エンジンはかなりのハイスペックになっていました。そんな仕様で優勝したのですが、その後、そのエンジンはブローしてしまいました。それからはガタガタでしたね、僕も車も……。
ブローした後も3基くらいエンジンを壊し、ミッションも壊し……直してもまたすぐに壊れるといった感じでした。
>2008年にスーパークラスが誕生しました。そのときは、望月選手的にはどんな感じだったのですか?
2006年に優勝したじゃないですか。でも2007年は全然勝てなかった。勝てないどころか決勝進出は1回だけという不甲斐ない結果。
とにかく車を作っている時期で、走っては壊れ、そして直し、また走っては壊れの連続でしたからね。車に慣れるということすら出きませんでした。この年は1ヶ月もまともな状態で、車に乗れるという時期はありませんでしたね。それだから腕も上がらない。とにかくトラブルとの戦いでした。だから2008年は少しでも多く走りたいという気持ちが、より強かったんだと思います。
そこでMSCチャレンジにスーパークラスという、エキスパートクラスの上のカテゴリーが出来たときに、有無も言わずこのクラスに出ようと思いました。そこでこの年は、MSCチャレンジのスーパークラスに全戦出場しよう、この大会を追ってやろうと思い、全戦出場しました。

>たしかに2008年の望月選手には、気迫タップリという雰囲気が漂っていましたね。
2007年も車が壊れなければ、十勝(北海道)などもエントリーしていましたし、備北(岡山)にも行きました。結構遠征もしましたね。たしかにそういったことは自分にとって良い経験にはなりましたが、なんせ結果が出なかった。
そんな2007年の悔しい思いもありましたし、スーパークラスはシリーズポイントが付くので、シリーズがかかっている。そうなると当然、全戦出ないと気がすまない。それで他の大会は無視して、MSCのスーパークラス1本に絞りました。もちろんD1ストリートリーガルとかもありましたし、D1グランプリだって盛り上がっている。そんななかで自分のお金や車の状態のことなども考えて、この大会1本に絞ったんです。
その甲斐があってか、初戦である鈴鹿ツインサーキットからポイントを獲得しました。これには色々な経緯があるんですよ。
2007年の最後に、あまりにもエンジンが壊れて、車も壊れて、本当にダメなときに、前から良くしてもらっていた「クニーズ」の高橋邦明さんに、「お前、そんなんじゃ、来年も勝てねーぞ」と言われたんです。僕もそれはわかっていました。散々エンジンもミッションも壊れましたから……。で、どうしようと考えていたときに、高橋さんが「なんとかしてやるよ」と。
そこで高橋さんのエンジンを作っている人を紹介してもらい、たまたまその人が昔作った1.5Jのエンジンがあって、それを購入して高橋さんのクニーズで車のほうもメンテしてもらいました。2008年はそのおかげもあって、全戦大きなトラブルもなく、出場することが出来ました。
高橋さんは、車を見てくれただけじゃなく、来られる大会には来てくれてスポッターもやってもらいました。それに練習をするときも、良く来てくれましたね。本当に高橋さんには、走りの面でも車の面でもすべて面倒を見てもらいました。
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