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EXPERT STORY
エキスパートストーリー
ENTER OF ?NO ONE BETTER? (2/4)
レーサー / 谷口 信輝
ミニバイクレースで頂点を極め、2輪レース界で将来を嘱望されていたにもかかわらず、頑なにプロへの道を拒んだ谷口選手。その彼が一転して4輪の世界へ。しかも過酷なプロへの道を歩み始めたのには、いったいどんな経緯があったのだろうか?
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エキスパートプロフィール
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<strong>谷口</strong> 信輝 写真

谷口信輝インタビューその2
NOB

> MSC(以下省略):ミニバイクレースで活躍していたにもかかわらず、いつ、どんなキッカケでクルマに鞍替えしたんですか?

谷口(以下省略):19歳の夏、バイクで優先2車線道路を走っていたときに、脇道から突然出てきたクルマと衝突してしまったんです。両足と右手が折れて肉が削げて、3カ月も入院するハメになってしまったんですけど、バイクレースのチャンピオンシップが賭かっていたので、治りきらないうちに最終戦に強行出場したんです。そのレースで優勝してシリーズチャンピオンになったのを最後に、バイクのレースからはキッパリと手を引いたんです。本気でクルマに取り組むようになったのはそれからですね。

> そんな大事故に遭っていながら、よりによってなぜドリフトを始めようと思ったんでしょう?

信号待ちをしていたら、前に停まっていたハチロクが、信号が青に変わった途端、ケケケケケケッ〜ってドリフトしながら右折していったんですよ! それを見て「カッコイイ!! あれくらいは出来るようになりたいなー」と。目立ちたがり屋というか、バイクでもウイリーとかアクロバティックなことが好きだったので、「男たるもの、バク転とウイリーとドリフトは出来なきゃいけない!」って気持ちになったんです(笑)。それからは土屋圭市さんのドリフトビデオとか、よく見るようになりました。

> 谷口さんにとってドリフトはオトナの男になるための通過儀礼みたいなものなんでしょうか?

そうですね。でも当時はD1なんてない時代でしたから、ドリフトというか峠の走り屋ですね。19歳から走り屋を始めて27歳で上京するまで、毎日地元の峠を走ってテクニックを磨きました。

> 最初に買ったクルマは何でした?

免許を取って初めて買ったのは日産キャラバンでした。バイクの運搬用ですね。走り屋を始めるにあたって最初手に入れたのはハチロクです。

土屋圭市:走り屋〜ドリフト界のカリスマ、?元祖ドリキン?。ツーリングカーレース界の重鎮でもある。現在はチーム監督としてスーパーGT選手権(GT300クラス)に参戦するほか、D1審査員長を務めている。

日産キャラバン:日産自動車が生産しているキャブオーバー型の自動車。バンとバスが発売されている。

ハチロク:トヨタ自動車のカローラレビン、及びスプリンタートレノの共通車台番号『AE86型』から取った通称。1600ccという低排気量ながらも驚異的な高性能を発揮し、80年代に絶大な人気を誇った。走り屋の定番車種としてはもちろん、ドリフト界においても現役で活躍している。
<strong>谷口</strong> 信輝 写真
> おっ、走り屋の定番中の定番ですね!

実はもともとハチロクには興味がなかったんですよ。デザインは古臭いしパワーもないし。ホントはセブンが欲しかったんですけど、走り屋をやっていた従兄弟に相談したら、「セブンはガソリンを食うしパーツも高い。まずはハチロクを買え」っていわれたんです。峠の登りはもちろん、下りを攻めているときにパワー不足だと感じるくらいの腕前になってからステップアップしろって。薦めに応じてハチロクを買ったんですけど、乗ってみたら不思議と愛着がわいてきて、結果的にハチロクを5台も乗り継ぎました。

> 廃車にしては乗り継いで・・・みたいな感じで?

まあ、いろいろですね。1台目は友達が山で事故って廃車。2台目は売りましたけど、3台目は横に向けてコーナーに入っていったら対向車と衝突してパー。4台目は近所でぶつけて廃車。5台目のハチロクは売ってS14に買い換えました。それからシルビア系がメインになりました。

> お金もかなりかかったんじゃないですか?

それほどお金はかからなかったです。今みたいにパーツも豊富じゃないし、イジったのも足、デフ、マフラーくらい。タイヤは近所のガソリンスタンドやタイヤショップで、使えそうな廃タイヤを拾っては自分で交換していましたしね。毎日1〜2千円分ガソリンを入れては、それがなくなるまで走っていました。

> 峠の走り屋だった谷口さんが、注目されるようになったキッカケは?

21歳のとき、四国で行われたビデオオプションの『イカす走り屋チーム天国』っていう大会で、個人3位になったのがキッカケです。その1〜2年後に、栃木県の那須エクスプローラーサーキットで、『イカす走り屋チーム天国』の全国大会があって、そこで3位になったんです。

セブン:RX-7の略。ロータリーエンジンを搭載したマツダのスポーツカー。1978年〜2002年まで生産されていた。

S14:S14型と呼ばれる6代目日産シルビア。続く7代目S15型とともに、ドリフトチューンのベース車両として人気。

ビデオオプション:走り屋達のバイブル的存在の三栄書房が発行する月刊ビデオマガジン。
<strong>谷口</strong> 信輝 写真
> プロになる意識は?

まったくなかったですけど、全国大会3位になってからは広島の近くでイベントや大会があるときは、デモ走行に呼んでもらえるようになったんです。当時の一般的なテクニックでは、カウンターを当てるときはハンドルを手放しでシュルシュルシュルって戻していたんです。でもボクは自力で回してカウンターを当てていたんですね。それを雑誌社の人達が見て、「谷口君の運転は巧い」ってことになって、ビデオオプションで使ってくれるようになったんです。1〜2ヶ月に一回、撮影で東京に呼んでくれるようになって、そのつながりで同じ系列のオプション2とかドリフト天国も仕事を振ってくれるようになっていきました。

> 「東京に出てスターになってやる!」みたいな気持ちにはならなかったんでしょうか?

24〜25歳のころ、本気で「東京で雑誌とか、クルマに携わる仕事がしてみたいなー」って意識が芽生えていたんですよ。でも、家庭の事情もあって・・・。じいちゃんが寝たきりになってしまったので介護を手伝っていたんです。東京に出るのはじいちゃんを見取ってからと決めていたので、27歳になってやっと上京できたんです。

> 意外にも真面目な苦労人なんですね。某ビデオでは、「こまし」とかいわれて、チャラ男系キャラを演じさせられていますけど・・・

ノリがいいんですね、ボクは(笑)。それはともかく、上京してきてからは、「何かあったら仕事をください」って、いろんな雑誌社に挨拶回りをしました。当時はかなりの貧困生活を送っていましたけど、雑誌の仕事が増えるにつれて人との出会いも増えていったんです。いろんなチャンスに恵まれるようになったのはそれからですね。

エキスパートプロフィール
取材日:2005年8月22日
連載期間:2005年9月13日〜10月5日(全4回)




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