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>イコールという条件のなかではできないのが、クルマの作り込みという技術なんですね。
そこで「シャーシから全部作れるクラスというのはないだろうか?」と考えていたところ、フォーミュラーがあったのですよ。それからフォーミュラーの世界に入っていきました。しかし最初からフォーミュラーカーを作るなんてことはできないので、F3などのメンテナンスをしながら、ファーミュラーカーを作る技術を身に付けていきました。そしてその技術を生かして、フォーミュラーカーを製作し、販売したのが「イケヤフォーミュラ」の始まりです。
>池谷さんにとって、目指すレースの世界がフォーミュラーにはあったということですね。
その後、フォーミュラの世界に若い人たちが入ってこられるような環境にしてあげなくてはいけないと思い、8台くらい古いフォーミュラを購入し、エビスサーキットでスクールを開催しました。乗るチャンスを与えることによって、若い人たちが育っていく。そういう環境を作りながら、うちのクルマも成長しながらレースに出てきました。
そうなるともっと上を目指したくなります。もっと上のレベルで競い合いたいと思うようになりました。しかし上のクラスのクルマ製作を目指すには、資金がない。そのためにクルマ製作以外の仕事も、色々とやりました。クルマに携わるものなら、何でもやっていこうと……。
FJマシンを製作していた頃に、ドリフトをやっている古口氏や平岡氏といった、栃木県の今でこそ有名なドリフターと知り合いました。始めはドリフトというもののイメージは私のなかでも良いものではなかったですね。しかし彼らと話していくと、フォーミュラをやっている人間と同じ会話なんです。目指していることも話していることも、まったくといっていいほど同じでした。結論は速く走るためにはどうしたら良いか? ということなのです。そこから通じ合えるものがあって、色々なパーツの製作にもつながっていきました。そういったドリフトの人間が集まり出してから、イケヤフォーミュラのクルマの分野は始まったのです。
それまではフォーミュラばかりでしたので、正直クルマのことは詳しくなかったのですが、フォーミュラの前にダートラという歴史があったので、クルマの分野にもすんなり入ることができました。。
> 数年前はラジエーターのパーツがブレイクしたこともありましたよね。
あの頃はアルミのラジエーターというものがごく僅かしかありませんでした。サーキットでのグリップ走行や草レースと呼ばれるものが全盛期だった時代ですね。みんなオーバーヒートに悩まされていました。安心して走れるラジエーターはないか……ということから始まったものですね
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