EXPERT STORY
エキスパートストーリー

速く走るためのパーツ作りを目指して (2/3)
IKEYA FORMOLA 代表/池谷信二

クルマを速く簡単に走らせることを常に考えている池谷代表。新しいパーツを開発し、それを組み込んだクルマでより快適にタイムに繋がるパーツを求める。ドライビングを楽しむように、クルマを作ることもセッティングすることももっと楽しんで欲しいと、池谷代表が熱く語る!
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エキスパートプロフィール
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男としている以上は何かの形で目立ちたい! それは誰でも同じだと思う。その表現のひとつがクルマだった。クルマに乗ったら誰よりも速く走りたい…誰よりもカッコ良いと言われたい…。クルマ業界に入って、常に新しい風を送り続けている、それがイケヤフォーミュラの代表・池谷信二なのだ。今回はそんな池谷代表に、パーツ開発から現在までのサーキットシーンまでのお話を聞いてきたぞ。

池谷信二インタビューその2

> 社名が示すように、かつてはフォーミュラカーを設計し製作して販売していたイケヤフォーミュラですが、会社がスタートしたきっかけというのを教えて下さい。

もともとは自分もダートラのレースをやっていました。昔、ダートラがものすごいブームになったという頃です。テレビの放映はあったし、スポンサーも付くという時代でした。自分は山梨出身だったのですが、ダートラの本場が栃木だったので、自分も栃木に飛び出してきた。ドライバーとして食っていこう……とその頃は本気で考えてしました。それからダート系のものを6年くらいやっていました。その頃はクルマを作ってくれるといったショップも少なく、ほとんどのドライバーが自分でクルマを作って、走るという感じでした。しかし一生懸命自分のクルマを速くしようとやっていても、規則でがんじがらめにされてしまう。あれはダメ、これもダメ……といった感じで何も思うようにできない。その頃は、自分もダートラのドライバーとしての立場もあったので、たしかに規則があれば条件がイコールになるから良いと思いもありました。

>しかし実際はそれがすべてではなかったということですか?

そうですね。逆にドライビングだけでなく、技術で競い合っている人もいるのです。クルマを作るという部分ですよね。そこで制約がかなり入ってきてしまうと、クルマを作るという技術が競い合えなくなるということにもなりますよね。ドライバーとして競うのも当然なのですが、メカニックの技術で競争するというのもレースにはあると思っていたので、それで満足できなくなってきました。


>イコールという条件のなかではできないのが、クルマの作り込みという技術なんですね。

そこで「シャーシから全部作れるクラスというのはないだろうか?」と考えていたところ、フォーミュラーがあったのですよ。それからフォーミュラーの世界に入っていきました。しかし最初からフォーミュラーカーを作るなんてことはできないので、F3などのメンテナンスをしながら、ファーミュラーカーを作る技術を身に付けていきました。そしてその技術を生かして、フォーミュラーカーを製作し、販売したのが「イケヤフォーミュラ」の始まりです。

>池谷さんにとって、目指すレースの世界がフォーミュラーにはあったということですね。

その後、フォーミュラの世界に若い人たちが入ってこられるような環境にしてあげなくてはいけないと思い、8台くらい古いフォーミュラを購入し、エビスサーキットでスクールを開催しました。乗るチャンスを与えることによって、若い人たちが育っていく。そういう環境を作りながら、うちのクルマも成長しながらレースに出てきました。
そうなるともっと上を目指したくなります。もっと上のレベルで競い合いたいと思うようになりました。しかし上のクラスのクルマ製作を目指すには、資金がない。そのためにクルマ製作以外の仕事も、色々とやりました。クルマに携わるものなら、何でもやっていこうと……。
FJマシンを製作していた頃に、ドリフトをやっている古口氏や平岡氏といった、栃木県の今でこそ有名なドリフターと知り合いました。始めはドリフトというもののイメージは私のなかでも良いものではなかったですね。しかし彼らと話していくと、フォーミュラをやっている人間と同じ会話なんです。目指していることも話していることも、まったくといっていいほど同じでした。結論は速く走るためにはどうしたら良いか? ということなのです。そこから通じ合えるものがあって、色々なパーツの製作にもつながっていきました。そういったドリフトの人間が集まり出してから、イケヤフォーミュラのクルマの分野は始まったのです。
それまではフォーミュラばかりでしたので、正直クルマのことは詳しくなかったのですが、フォーミュラの前にダートラという歴史があったので、クルマの分野にもすんなり入ることができました。。

> 数年前はラジエーターのパーツがブレイクしたこともありましたよね。

あの頃はアルミのラジエーターというものがごく僅かしかありませんでした。サーキットでのグリップ走行や草レースと呼ばれるものが全盛期だった時代ですね。みんなオーバーヒートに悩まされていました。安心して走れるラジエーターはないか……ということから始まったものですね

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