EXPERT STORY
エキスパートストーリー

常に全開! MAX織戸のレーサー一筋人生!! (3/4)
レーサー/織戸 学

小さい頃からレーサーになることを夢見て、その夢を実現させた男MAX織戸。誰にも負けないアクセルの踏みっぷりの良さとそのドライビングテクニックで、スーパーGT500クラスドライバーまで駆け上がった。そんな織戸 学選手の「熱い」全開人生のすべてを聞いてきたゾ!
TOP > エキスパートストーリー > 織戸 学 > 3/4
エキスパートプロフィール
1 / 2 / 3 / 4

小さい頃からレーサーになることを夢見て、その夢を実現させた男MAX織戸。誰にも負けないアクセルの踏みっぷりの良さとそのドライビングテクニックで、スーパーGT500クラスドライバーまで駆け上がった。そんな織戸学選手の「熱い」全開人生のすべてを聞いてきたゾ!

織戸 学インタビューその3
「ドリコンチャンプからレーサーへ……」

> MSC(以下省略):走り屋をやっていてドリコンなどに出場しながらも、やはり「夢はレーサー」ということを織戸さんは常に頭に入れていたのですね。

織戸(以下省略): その頃もちょっとしたオーディションを受けたりして、レースをかじったりはしていました。でもそれではまだまだ夢は遠い……。その頃たまたまカーボーイドリコンの審査員を「坂東商会」の坂東さんがやっていたこともあって、僕は坂東さんに相談の電話を入れました。

> それが坂東商会に入るきっかけとなったのですね。

そう。でも5回くらい坂東さんにアポを取って行ったのだけど、1回も会ってくれない。千葉から仕事を終わってから東京の町田まで行ったんだけど、会えないで終わってしまう。5回目か6回目くらいにやっと会えて、坂東さんに「お前を試したんだ」と言われて……。要は本当にやる気があるかどうか僕を試していたんだ、坂東さんは。それから「来週レースがあるから、そのレースから出場しろ」と言われて。


> で、そのレースに出場したのですか?

いやそれはいくらなんでも無理なのでといったら、「本当にレースをやりたいのなら、今やっている仕事をやめて、親も説得してうちの会社で働け! そうしたら、オレがレースの面倒も見てやる!」と坂東さんが言ってくれました。そういうのがきっかけで、僕は坂東商会に入社しました。

> それが21歳のときだったのですね。それまではどんな仕事をしていたのですか?

色々な仕事をしましたね。クルマのディーラー、バイク屋、坂東商会に入る直前は家の近所の自動車修理工場。ここはかなり良い待遇だったんですが、やはり夢を叶えたくて決断しました。そのときもレーサーになれるなんて思ってもいなかったけど、一回でもいいからレースをやってみたいという気持ちで、家を出て町田に住みました。それがこの世界に入ったきっかけとなったんです。

> それからドリフトはやめて、レース一色の生活が始まったのですね。

レースを始めて初年度は、なんだか分からなかったというのが正直な感想ですね。タイムが出るときもあれば、出ないときもある。その理由もよく分からなくて……。


> 最初に出場したのは富士のフレッシュマンレースで、いくつかのカテゴリーがあるなかで、一番上のクラスでしたね。

改造エンジンで、200馬力以上のハチロクで、スリックタイヤというクラス。その頃から長野県の圭オフィス系の人たちにはかわいがってもらいました。2年目に第1戦でポールポジションを獲得。これは勝てると挑んだのですが、負けてしまって……。でも3戦目、ずっとトップ争いをしていたのですが、相手に当たってしまいそれが大きな問題になり出場停止になってしまいました。

でもそのとき1回レースを休んで、外からレースというものを見て、色々なことを考えさせられましたね。しかしこの2年目でシリーズチャンピオンを取りました。そのとき僕はどうしても鈴鹿サーキットを走りたかった。それで坂東さんに「鈴鹿を走らせて下さい」とお願いして、3年目に鈴鹿サーキットのフレッシュマンレースに出場出来るようになりました。

3年目での鈴鹿参戦は、第1戦からではなかったのですが、前の年に使っていたグループAのAE92レビンのN2仕様に改造してアドバンカラーで出場しました。そして第3戦からエントリーし、そのレースで予選3番手だったんだけど、優勝出来た。それから関西の人にもかわいがってもらえるようになりました。その年チャンピオン争いをしましたが、結局チャンピオンにはなれませんでした。

1 / 2 / 3 / 4


エキスパートプロフィール


Copyright © 2007 REALIT Co.,Ltd. All Rights Reserved.