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三橋 淳インタビューその2
「オートバイに乗って世界に飛び出した」
> MSC(以下省略):本格的にレースを始めたというのは、いつ頃からですか?
三橋(以下省略):29歳のときですね。それまでは遊びで海外のレースに出たことはありましたが、それは本当に遊びというレベルでした。日本国内のレースに出場して、それなりの結果は出していましたが、まだ本気でレースをやるという感じではなかったですね。でも28歳のとき、すべてのレースにリタイアしてしまいました。それまでは優勝したり、入賞したりしていたのに、この年は完走すら出来なかったのです。この結果に、知り合いからキツイ言葉をいただきました。「無駄金使っているね」と。結果を残せないのは、中途半端にレースに出ているからだと……。そのときに、今までやってきたレースは時間の無駄で意味のないものに感じました。
そこで29歳のときに、ひとつのレースだけでもいいから、真剣に取り組んでみようと思い、それを実行しました。この年は良い結果を残せました。僕はずっとホンダのバイクに乗ってやっていたのですが、真剣にやっている感じが見えなかったから、それまではサポートはしてもらえませんでした。29歳で真剣に取り組み、それを見てくれたホンダが、XR400というバイクを出してもらえるようになりました。
>29歳の決断でメーカーのサポートがついたことによって、三橋さんにも大きな変化が起こったのですね。
オートバイをメーカーから出してもらうということは、何かしらの結果を残さなくてはいけない。それからかなりのレースに出場しました。日本で行われたクロスカントリーのレースなのですが、北海道2回、四国の大きなレースに出場し、3つ共に優勝しました。そのときに日本一の称号をもらいました。そうなるとメーカーもオートバイだけのサポートではなく、それ以外のサポートもついてくる。自分の結果に対してグレードがリアルについてくる。それに喜びを感じるよりも、そういったことに対して今以上に返さなくてはいけないという義務感が、僕に強く出てくるんです。
とにかく結果を残すこと。それを繰り返していくうちに、周りから日本だけではなくて海外に目を向けても良い頃なんじゃないの……という感じになってきたとき、たまたまホンダから新しいオートバイが登場するということになりました。タイミング的にも良かったんでしょうね。新しいホンダのマシンでパリダカに出よう、と言う声が上がり、パリダカにオートバイで出場することになりました。それから企画書をメーカーに提出して、3年計画でパリダカに出場しました。
>それで最高位が12位、そしてプライベーター部門で優勝という結果を残したわけですね。
ホンダからサポートを受けていましたが、ファクトリーではなかったのでプライベート賞ももらえました。とはいっても、車両を作ってもらい、金銭的なサポートもありました。プロではないけど、セミプロといった感じで、プライベートサポートで出場しました。色々な人の想いをもらって、作ってもらったマシンで出場し、評価を得たのはとても嬉しかったですね。
>もうひとりで走っているのではないという思いもあったのでは?
そうですね。3年計画で出場し、プライベートでトップ賞ももらいましたけど、本当はもっと良い成績を出す自信もありました。しかし3年という計画だったので、ホンダのオートバイでのパリダカ出場にひと区切りをつけました。そのときに今度は、ニッサンから話をいただきました。
XR400R:空冷4サイクル単気筒エンジン搭載モデル。1995年に輸出モデルとして北米や欧州など、世界各国で発売され、高性能なエンデューロマシンとして人気のあったモデルで、日本国内での強い販売要望を受け、1997年に限定200台で発売されたオフロード走行専用車。
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