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EXPERT STORY
エキスパートストーリー

世界一過酷なレース「パリダカ」でクラス部門優勝を遂げた男のチャレンジスピリッツ!!(2/4) | レーサー/三橋 淳

ライダーから、ドライバーへ……。『パリ・ダカール・ラリー』に惹かれ、挑み続ける男が、2007年、市販車無改造クラスで優勝を飾った。自然を愛し、モータースポーツをこよなく愛し、そして挑戦を続ける男のドラマに迫ってみよう!
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エキスパートプロフィール
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自由に自転車やバイクで走ることが好きで、何にでも挑戦を続けてきた三橋淳選手。オートバイからクルマのレーサーに転向し、そして常に「パリ・ダカール・ラリー」で活躍を見せてくれた三橋選手のインタビュー第2弾!!

三橋 淳インタビューその2
「オートバイに乗って世界に飛び出した」

> MSC(以下省略):本格的にレースを始めたというのは、いつ頃からですか?

三橋(以下省略):29歳のときですね。それまでは遊びで海外のレースに出たことはありましたが、それは本当に遊びというレベルでした。日本国内のレースに出場して、それなりの結果は出していましたが、まだ本気でレースをやるという感じではなかったですね。でも28歳のとき、すべてのレースにリタイアしてしまいました。それまでは優勝したり、入賞したりしていたのに、この年は完走すら出来なかったのです。この結果に、知り合いからキツイ言葉をいただきました。「無駄金使っているね」と。結果を残せないのは、中途半端にレースに出ているからだと……。そのときに、今までやってきたレースは時間の無駄で意味のないものに感じました。


そこで29歳のときに、ひとつのレースだけでもいいから、真剣に取り組んでみようと思い、それを実行しました。この年は良い結果を残せました。僕はずっとホンダのバイクに乗ってやっていたのですが、真剣にやっている感じが見えなかったから、それまではサポートはしてもらえませんでした。29歳で真剣に取り組み、それを見てくれたホンダが、XR400というバイクを出してもらえるようになりました。

>29歳の決断でメーカーのサポートがついたことによって、三橋さんにも大きな変化が起こったのですね。

オートバイをメーカーから出してもらうということは、何かしらの結果を残さなくてはいけない。それからかなりのレースに出場しました。日本で行われたクロスカントリーのレースなのですが、北海道2回、四国の大きなレースに出場し、3つ共に優勝しました。そのときに日本一の称号をもらいました。そうなるとメーカーもオートバイだけのサポートではなく、それ以外のサポートもついてくる。自分の結果に対してグレードがリアルについてくる。それに喜びを感じるよりも、そういったことに対して今以上に返さなくてはいけないという義務感が、僕に強く出てくるんです。

とにかく結果を残すこと。それを繰り返していくうちに、周りから日本だけではなくて海外に目を向けても良い頃なんじゃないの……という感じになってきたとき、たまたまホンダから新しいオートバイが登場するということになりました。タイミング的にも良かったんでしょうね。新しいホンダのマシンでパリダカに出よう、と言う声が上がり、パリダカにオートバイで出場することになりました。それから企画書をメーカーに提出して、3年計画でパリダカに出場しました。

>それで最高位が12位、そしてプライベーター部門で優勝という結果を残したわけですね。

ホンダからサポートを受けていましたが、ファクトリーではなかったのでプライベート賞ももらえました。とはいっても、車両を作ってもらい、金銭的なサポートもありました。プロではないけど、セミプロといった感じで、プライベートサポートで出場しました。色々な人の想いをもらって、作ってもらったマシンで出場し、評価を得たのはとても嬉しかったですね。

>もうひとりで走っているのではないという思いもあったのでは?

そうですね。3年計画で出場し、プライベートでトップ賞ももらいましたけど、本当はもっと良い成績を出す自信もありました。しかし3年という計画だったので、ホンダのオートバイでのパリダカ出場にひと区切りをつけました。そのときに今度は、ニッサンから話をいただきました。

XR400R:空冷4サイクル単気筒エンジン搭載モデル。1995年に輸出モデルとして北米や欧州など、世界各国で発売され、高性能なエンデューロマシンとして人気のあったモデルで、日本国内での強い販売要望を受け、1997年に限定200台で発売されたオフロード走行専用車。
>このニッサンからの話が大きな転機となったわけですね。今までのバイクという乗り物から今度はクルマへ変わるというのはどんな感じでしたか?

正直無茶苦茶戸惑いはありましたよ。今思えばそれほどの違いはないと思っていますが、あの当時は全然違うと思っていましたね。ニッサンはパリダカに、ファクトリーで出場していました。そのときに日本人ドライバーが欲しいという声があったのです。じゃあ誰を採用するか?といったときに、海外では、2輪から4輪に転向して成績を残す人も多く、それなら2輪の選手はどうかという話になったんです。そのときに僕にも話が持ち上がった。当然僕の他にも候補の選手がおり、その選手と共にテストを受けることになりました。


テストは南アフリカで行うということになり、南アフリカに行けて、ファクトリーカーに乗ることも出来るなら行ってみようかと、軽い気持ちで参加しました。自分では、もうひとりエントリーしているライダーがいるということと、4輪での実績がまったくないことで、現実味がない。だけどどうせダメモトだし、受けるだけ受けてみようと思いました。実際に南アフリカのテストに行ってみると、もうひとりのライダーは、広告代理店やテレビなどの人を引き連れてかなりの本気モードだったので、僕はまず無理だろうと、正直思いましたね。


 もちろん僕は、ファクトリーマシンに乗ったことがない。6速シーケンシャルミッションのフロントミッドシップ。そこでテストではあがいてもしかたがないので、このクルマで遊んでやろうと気持ちで臨みました。テストは2日間で行われました。クルマを壊してもいけないので、1日目はクルマに慣れる意味も含めてゆっくり乗ってみました。どんな感じなのだろうといった具合で……。


日本人以外のスタッフもいました。その人たちの目から、僕に対して「なんでこんな遅い奴がテストを受けにきているんだ」という雰囲気をバリバリ感じました。でも「初めてだから」と逆に居直ってテストを受けました。しかし2日目は、自分の持っているものをすべて出して走ってやろうと、思い切りいきました。すると結構良いタイムが出て、周りのスタッフの感触も前日とは変わったものになりました。そのときは「これは結構良い手ごたえをもらえたな」と思いました。でもさっきも言ったように、もうひとりのライダーは万全の体制で挑んでいたので、やはり受かるには厳しいだろうと……。それでも外国スタッフから良い手ごたえをもらえたから、良しとしようと思って日本に戻りました。帰ってから「合格」の返事をいただきました。

シーケンシャルミッション:正確には「シーケンシャル・マニュアルトランスミッション」という。手動作のみで変速が可能になるミッションシステムで、クラッチペダルの操作が不要となる。

フロントミッドシップ:ミッドシップとは、エンジンを車体の中心に置かれることで、エンジンの荷重を主に前輪で支えるものを、フロントミッドシップと呼ぶ。
> このテストを受けるまでは、三橋さんと4輪との関係はどんな形だったのですか?

全然なにも……。乗っているのも日常に使うオートマ車ですし……。でもクルマとバイクって、基本的に似た動きになっているんです。テストで乗ったクルマはファクトリーマシンということもあって、挙動自体がバイクと同じような感覚を得られました。これが普通のクルマでのテストでしたら、全然歯が立たなかったと思いますね。ファクトリーマシンはパワーもあるので、踏めば振り回せるし、ギヤもシーケンシャルだし、ステアリングもクイックだったし……。そんなクルマだったから合わせられたのだと思います。これが市販車ベースで改造してあるようなラリーカーだったら、たぶんひっくり返していたかも知れなかったですね。


>合格の発表までの時間は、どれくらいあったのですか?

1ヶ月くらいかかりましたね。でも合格して、4輪に転向してからが地獄の始まりでした。僕にはクルマのバックボーンはない。ドライビング技術という部分もそうだし、国内の4輪レースにも出たことがないわけですから、この業界では何も知らないものばかりでした。ただニッサンのドライバーであるということだけで、すべてが始まりました。 しかもチームもフランスにあるので「フランスに行って来い」とフランスに旅立ちました。しかしフランスに行っても、クルマになかなか乗せてもらえない日々が続きました。8月の夏にフランスに渡ったのですが、10月の初旬に行われた「ファラオラリー」のレースには、ほとんどぶっつけ本番で出場しました。当然、全然走れない。ほとんどそのマシンに乗ったことがないのですから……。


レース初日、最初に越える砂丘でスタックして40分のタイムロスをしてしまいました。今考えても本当になんてことのない砂丘だったんです。でも4輪で砂丘を越えたことがなかったから、そういった状態になってしまった。オートバイではなんてことのない砂丘も、視界が違うせいで恐怖感がありました。ボンネットの先が見えない。越えて落ちるまで先が何も見えないのです。砂丘の先にはメディアが沢山並んでいて、罵声を浴びました。この日のことは今でも覚えています。「ニッサンが選んだドライバーはヘタクソだ!」と……。そのときは本当に叩かれましたね。

>ものすごく苦い経験だったのですね。

相当ムカつきましたが、どうしようもない。そこで悩んでいてもしかたがない。僕はどちらかというと、落ち込みながらエネルギーを貯めていくタイプのようで、そこからレース中の3日間、自分がダメなことを試してやると必至でもがきました。そのもがいた結果、出来なかったことが出来るようになり、タイムも上がってきて、最後の方ではSSで3位とか獲れるようになって、マスコミの評価も変わりました。「初日はまるでダメだったが、別人になった」と。


でも僕の心情としては、レースのなかではトレーニングは出来ないと思っています。だって、レースをするってことは競争じゃないですか。そこの場所に行くのに100%のポテンシャルを持ってこないということは、初っ端からもう負けですよね。いくらそのなかで成長したからといっても、負けなのです。


しかもレース中だから、リスクが多いことは試せない。そうなっていくと、やはり消極的な走りになってしまう。レース中にアグレッシグに攻められるということは、裏づけがあっての行動ですからね。その裏づけがない状態でレースに出て行ったワケですから、このレースの一週間はメディアから叩かれるのを覚悟の上で、その裏づけを取ることに専念したという形でした。
しかしその後も、なかなかクルマに乗せてもらえなくて、自分の試したいことが全然試せない。4輪の世界って、こんなに歯がゆいのか……と思い知らされました。(第3回へ続く>>

スタック: 自動車が砂地などで動けなくなってしまった状態をいう。

SS:スペシャルステージの略で、「エスエス」と呼ばれる。SSは、一般公道を閉鎖して作られたとタイムトライアル区間で、テレビなどで中継されるのもこの区間が多い。この区間での合計タイムがラリーの結果となるので、選手はこの区間は全開でアタックするので、見応えのある区間だ。
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