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>自分だけでなく、関係を良い方向に向けて結果にしていくのは本当に大変なことなのですね。
4輪でのパリダカ参戦2年目は11位ですが、結果を出したことによって、ニッサンのファクトリーマシンに乗せてもらえることになりました。5年落ちのファクトリーマシンで、NISSANピックアップ。決して優勝出来るというクルマではありませんが、上位は狙えるクルマでした。このときもかなり悩みました。それは、このクルマで完走したドライバーがひとりもいないということなんです。
マシントラブルかクラッシュによってリタイアというのが、このクルマの持っている成績でした。ということは、マシンに何かしらの問題がある。そう考えるのは普通ですよね。悩みましたが、せっかくもらったチャンスなので、そのマシンに乗ることにしました。乗りたくても乗れないドライバーが、世界中に相当いる。問題はあるかも知れないが、戦闘力の高いクルマに乗るチャンスは僅か。じゃあ乗ろう!と決意しました。
乗った瞬間、ポテンシャルは今までのクルマとは違う、真のファクトリーカーなのだとすぐに感じました。僕自身もこのポテンシャルに負けない練習をしなくてはいけないと思って、国内で色々やりました。でもこのファクトリーマシンに乗らないと始まらないというのは正直に思いました。でも乗せてもらえない日々が続きました。この年にコンビを組んだナビゲーターはフランス人で、ナビゲーションも当然フランス語。これは初めての体験でした。レースもぶっつけ本番という形で、何から何まで初めてづくしでレースに挑みました。
>でもいつも、初めての壁を常にスレスレで突破していくのはすごいことですよね。
このときは結局、突破できなかったんですよね(笑)。まずはフランス語で大きな壁があったので、まずナビゲーションの専門用語をフランス語で覚えなくてはならない。フランス語で書き出して、それを暗記することから始まりました。レースに入る前には図を見ながら読み合わせもして、その次にブラインドで読んでもらいました。頭で図を想像していくんです。
ホテルのロビーでそれを2回やったのですが、そのときに友人が僕のいた場所の、ものすごく近い位置に来たらしいのです。でもまったく気がつかないくらい集中していました。それくらいこの読み合わせには神経を使いましたね。まず彼(ナビゲーター)の声(言葉)が分からなかったら、進む方向すら分からないワケですから……。
そしてファクトリーカーでのパリダカレース。スタートした初日は、まずまずの成績でゴールすることが出来ました。総合で18位でしたね。しかしやはり最初に不安があったように、アフリカに入った途端にありとあらゆるものが壊れました。プロペラシャフトが折れて身動きが取れなくなったり、パワステが壊れ、ミッションが固定し……。
>このファクトリーマシンの歴史が繰り返さたのですね。
そう。それでも諦めずに走りました。一番難しいところで自分では乗れてきたと思ったときに、ミスコースをしたりもしました。そのときは7、8位の速さだったと思うのですが、ミスコースが響いて12位に落ちてしまいました。そんなことの繰り返しでした。最後の最後は、キャンプ地をスタートしてすぐにブレーキが壊れてしまいました。スタート地点からノーブレーキ状態で、まったく何も効かない。
キャリパーからオイルが漏れて、修理も出来ない。ノーブレーキのまま500キロを走りました。そのときにひとつだけギャップにつかまって、前転してしまいました。それでもクルマを起こして、ゴールを目指しました。フロントスクリーンもなく、ライトもない状態で、暗くなってからは前のクルマに張り付いて必至で走りました。テールランプだけが頼りでした。それでゴールしたのですが、ロールバーも曲がっていて、「安全基準を満たさない」ということでリタイアとなってしまいました。
この2006年は、すべてのリズムがかみ合わない年でした。パリ・ダカール・ラリーのトップカテゴリーのクラスに「お前はまだ来るな!」と神様に言われたような、そんな年でした。ものすごく自信を失いました。毎年自分の思っている環境が作れない。それでものすごく疲れてしまいました。そこで、その翌年はひとつ下のクラスで走ってみたら少しは落ち着くのではないのかなと思い、トヨタもドライバーを探していたので、2007年はトヨタのクルマで走ることになりました。
>そしてクラス優勝につながるワケですね。
クラスをひとつ落としたということもあって、精神的にも落ち着きましたね。それにそれまでは、ものすごいコンプレックスで来ていましたから、そこからも解放されたように思います。全然走ることも出来ないまま、クルマに乗せられて、しかも速いクルマで……とやってきましたから、自分自身も一杯一杯だったのでしょうね。
決して周りが揶揄するほど離れたレベルではないのは分かっていました。他のドライバーと遜色なく走れていましたから速さがあるのは分かっていたのですが、コンプレックスの問題だったのです。そうすると、下のクラスのドライバーではないだろうという自信もありましたから、それがすべて良い方向に向いた年だと思います。(第4回へ続く>>)
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