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エキスパートストーリー

世界一過酷なレース「パリダカ」でクラス部門優勝を遂げた男のチャレンジスピリッツ!!(3/4) | レーサー/三橋 淳

ライダーから、ドライバーへ……。『パリ・ダカール・ラリー』に惹かれ、挑み続ける男が、2007年、市販車無改造クラスで優勝を飾った。自然を愛し、モータースポーツをこよなく愛し、そして挑戦を続ける男のドラマに迫ってみよう!
TOP > エキスパートストーリー > 三橋 淳 > インタビューその3「パリダカで負けない力を身につけるために……」
エキスパートプロフィール
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オートバイからクルマへ……同じフィールドで道具を換えてチャレンジを続ける、三橋淳選手。自分の思い通りに進まないなかでも最善の方法を探し、模索しながら進み続ける。目標は、パリダカ制覇! そんな熱き三橋選手のインタビュー第3弾!!

三橋 淳インタビューその3
「パリダカで負けない力を身につけるために……」

> MSC(以下省略):レース中でトレーニングをしなければならない状況は、本当にきつかったのでしょうね。

三橋(以下省略):レースの中だと、試せないことが一杯あるじゃないですか。それはかなりストレスになりました。しかし小さなレースで3位に入ることも出来ました。このときのように自分の自信とは裏腹に、結果だけは付いてくる。それがますますストレスになったりもしました。 4輪で最初のパリダカに出場したときには、序盤からクラス2位につけ、1位のドライバーと終始優勝争いをしました。しかし結果はマシントラブルでリタイア。前からクラッチに不具合があったことは分かっていたのですが、交換が出来ませんでした。するとクラッチが切れなくなり、そのまま砂丘に入ってスタックしてしまいました。その後必至に修理をしましたが、タイムオーバーでのリタイアという結果となってしまったワケです。


いかに自分が頑張っても、チーム全体の動きが合っていないと優勝することは出来ない。ひとつひとつを結びつけて、チームとして一体にならなければ勝てないのが、4輪の世界。2輪のときには考えなかったことでした。自分の考える範囲で出来るというのがオートバイの世界でしたが、クルマは違いました。自分だけでは勝つことが出来ないのです。これが2004年のパリダカでした。


 翌年の2005年もやりたいことが出来ませんでした。そんな状態だったので、自分で練習車を購入して、国内で練習を始めました。購入したのはパルサーGT-iR。そのあとはランエボという感じで、練習車を用意して、契約金のほとんどを練習のために使いました。そういうことが結果に結びつき、パリダカで11位を獲得。チームの力と自分のコンディションと、その先に置かれている状況を、自分で冷静に分析して結果が出せたのかなと思った年でした。


パルサーGT-iR:ニッサンから発売された、パルサーシリーズの4代目となるN14型で1990年から1995年に発売された。4連スロットルバルブ、SR20DETターボエンジン、フルタイム4WDシステムなどが搭載された3ドアハッチバックの2000cc。WRCへの出場を前提に設計されたモデルで、人気を博した。

ランエボ:三菱自動車のランサーエボリューションの略。ランサーをベースにし、2000ccハイパワーターボエンジンを搭載したスポーツモデルで、1992年から発売が開始された。現在ランサーエボリューション?まで発売され、2007年秋頃にはランサーエボリューション?の発売も予定されている。
>自分だけでなく、関係を良い方向に向けて結果にしていくのは本当に大変なことなのですね。

4輪でのパリダカ参戦2年目は11位ですが、結果を出したことによって、ニッサンのファクトリーマシンに乗せてもらえることになりました。5年落ちのファクトリーマシンで、NISSANピックアップ。決して優勝出来るというクルマではありませんが、上位は狙えるクルマでした。このときもかなり悩みました。それは、このクルマで完走したドライバーがひとりもいないということなんです。


マシントラブルかクラッシュによってリタイアというのが、このクルマの持っている成績でした。ということは、マシンに何かしらの問題がある。そう考えるのは普通ですよね。悩みましたが、せっかくもらったチャンスなので、そのマシンに乗ることにしました。乗りたくても乗れないドライバーが、世界中に相当いる。問題はあるかも知れないが、戦闘力の高いクルマに乗るチャンスは僅か。じゃあ乗ろう!と決意しました。


 乗った瞬間、ポテンシャルは今までのクルマとは違う、真のファクトリーカーなのだとすぐに感じました。僕自身もこのポテンシャルに負けない練習をしなくてはいけないと思って、国内で色々やりました。でもこのファクトリーマシンに乗らないと始まらないというのは正直に思いました。でも乗せてもらえない日々が続きました。この年にコンビを組んだナビゲーターはフランス人で、ナビゲーションも当然フランス語。これは初めての体験でした。レースもぶっつけ本番という形で、何から何まで初めてづくしでレースに挑みました。

>でもいつも、初めての壁を常にスレスレで突破していくのはすごいことですよね。

このときは結局、突破できなかったんですよね(笑)。まずはフランス語で大きな壁があったので、まずナビゲーションの専門用語をフランス語で覚えなくてはならない。フランス語で書き出して、それを暗記することから始まりました。レースに入る前には図を見ながら読み合わせもして、その次にブラインドで読んでもらいました。頭で図を想像していくんです。


ホテルのロビーでそれを2回やったのですが、そのときに友人が僕のいた場所の、ものすごく近い位置に来たらしいのです。でもまったく気がつかないくらい集中していました。それくらいこの読み合わせには神経を使いましたね。まず彼(ナビゲーター)の声(言葉)が分からなかったら、進む方向すら分からないワケですから……。


そしてファクトリーカーでのパリダカレース。スタートした初日は、まずまずの成績でゴールすることが出来ました。総合で18位でしたね。しかしやはり最初に不安があったように、アフリカに入った途端にありとあらゆるものが壊れました。プロペラシャフトが折れて身動きが取れなくなったり、パワステが壊れ、ミッションが固定し……。

>このファクトリーマシンの歴史が繰り返さたのですね。

そう。それでも諦めずに走りました。一番難しいところで自分では乗れてきたと思ったときに、ミスコースをしたりもしました。そのときは7、8位の速さだったと思うのですが、ミスコースが響いて12位に落ちてしまいました。そんなことの繰り返しでした。最後の最後は、キャンプ地をスタートしてすぐにブレーキが壊れてしまいました。スタート地点からノーブレーキ状態で、まったく何も効かない。


キャリパーからオイルが漏れて、修理も出来ない。ノーブレーキのまま500キロを走りました。そのときにひとつだけギャップにつかまって、前転してしまいました。それでもクルマを起こして、ゴールを目指しました。フロントスクリーンもなく、ライトもない状態で、暗くなってからは前のクルマに張り付いて必至で走りました。テールランプだけが頼りでした。それでゴールしたのですが、ロールバーも曲がっていて、「安全基準を満たさない」ということでリタイアとなってしまいました。

この2006年は、すべてのリズムがかみ合わない年でした。パリ・ダカール・ラリーのトップカテゴリーのクラスに「お前はまだ来るな!」と神様に言われたような、そんな年でした。ものすごく自信を失いました。毎年自分の思っている環境が作れない。それでものすごく疲れてしまいました。そこで、その翌年はひとつ下のクラスで走ってみたら少しは落ち着くのではないのかなと思い、トヨタもドライバーを探していたので、2007年はトヨタのクルマで走ることになりました。

>そしてクラス優勝につながるワケですね。

クラスをひとつ落としたということもあって、精神的にも落ち着きましたね。それにそれまでは、ものすごいコンプレックスで来ていましたから、そこからも解放されたように思います。全然走ることも出来ないまま、クルマに乗せられて、しかも速いクルマで……とやってきましたから、自分自身も一杯一杯だったのでしょうね。


決して周りが揶揄するほど離れたレベルではないのは分かっていました。他のドライバーと遜色なく走れていましたから速さがあるのは分かっていたのですが、コンプレックスの問題だったのです。そうすると、下のクラスのドライバーではないだろうという自信もありましたから、それがすべて良い方向に向いた年だと思います。(第4回へ続く>>


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