| 三橋淳選手は、日本のトップクロスカントリーライダーとして活躍し、ライダーとして参戦した『パリ・ダカール・ラリー』では3年連続完走、そしてプライベーター部門での優勝を飾るなど、世界を走り抜けたライダーだった。2003年からドライバーに転向。そして今年、トヨタオートボディで参戦した『パリ・ダカール・ラリー』の市販車無改造クラスで優勝を果たした。過酷なレースのなかで走り続ける男の、モータースポーツにかける情熱を、インタビューしたぞ! |
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三橋 淳インタビューその1
「好きなことを自分のスタンスでやるのが三橋流」
> MSC(以下省略):今年1月に行われた「パリ・ダカール・ラリー」市販車無改造クラス優勝、おめでとうございます。今回は三橋さんのレース人生についてお聞かせ下さい。まずその前に三橋さんが過ごした少年時代のことを教えて下さい。
三橋(以下省略):元々はレースが嫌いだったんですよ。小さい頃から人と競争することにまったく興味がなかったんですね。モータースポーツもそうなのですが、スポーツ全般に渡ってほとんど興味がなかった。どちらかといえばアウトドアが好きで、山に登ったりとかスキーをやったりとか……。まあスキーはスポーツに入るんでしょうけど、人と競うという意味ではなくて、自分でただ楽しむというようなことしかしなかったんです。
小さい頃はマウンテンバイクに乗って、どこかに行くというのが好きでしたね。僕が子供の頃はマウンテンバイクが流行っていたということもあって、そういった自転車で近所の裏山に上ったりしました。僕が住んでいたところは、埼玉県にある狭山湖の近くだったので、その辺の山によく仲間とマウンテンバイクで上って遊んでいました。探検のひとつの延長で、みんなとそんなことを楽しみました。
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パリ・ダカール・ラリー:1979年からスタートし、毎年12月末から1月にかけて、フランスのパリからスタートし、スペイン・バルセロナからアフリカ大陸に渡り、セガネル・ダカールまでのおよそ12000kmを走る、世界を代表するラリーレイドの大会のひとつ。サハラ砂漠といった救護施設のない場所等を横断したり、政治的に不安定な国を通過することもあり、負傷者や死者が出ることもある。そんなことから「世界一過酷なレース」と呼ばれている。2007年は1月6日にスタートし、地中海を渡った後、モロッコ、モーリタニア、マリ、セネガルを通過し1月21日にダカールがゴールとなった。
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> 自転車からバイクへ……そしてモータースポーツを始めるきっかけとなったのはどんなことからですか?
高校生になって、16歳になるとオートバイの免許が取れるじゃないですか。そうなると僕も普通の学生と同じように、オートバイの免許が欲しくなりました。バイクに乗って何をしたいかというものはまったくなく、単純に「僕もバイクの免許が欲しい」と漠然としたものでした。それで僕はバイトをして、中型二輪免許を取得しました。原付には興味がなく最初からオートバイに乗りたかったから、迷わず中型ニ輪免許でしたね。バイトはお正月の郵便局など、そういったものをやりました。
> 初めて乗ったバイクは何ですか?
自分で初めて購入したのは、ホンダのXLR250。その頃はバリバリレーサーレプリカ全盛期で、TZRやNSRとかが人気でした。でも僕は、さっきも言いましたけどレースにはまったく興味がなかったから、移動の手段としてしかバイクというものを見ていませんでした。
> そういうところから、オン・オフ問わずどういったコンディションでも走れるバイクが欲しかったのですね。
そう。ただの移動手段だと思っていたから、オフ車を選びました。そこで、そのマシンを、今まで自転車で走っていたフィールドに持ち込んで走ってみたんです。すると結構走れるし、面白い。ちょうど日本でもエンデューロ(草レース)も流行りだしてきて、雑誌主催のイベントに「出てみない?」と、誘われて出場しました。そのイベントは千人くらい集まった大規模なものでしたね。
> それはどこで行われたのですか?
僕が19歳のときに白馬で行われたものです。それが初レース。そのイベントは和気藹々と走れるから……と誘われたから出場したもので、もちろん勝ち負けにこだわるものではなく、楽しもうと。結果はクラス15位くらいにいたのかな?ひとクラス相当な人数がいたんだけど……。
XLR250R:1985年にHONDAから発売された山道や未舗装道路の走行に適した250ccのランドスポーツバイク。空冷4サイクルエンジンを搭載し、油圧式ディスクブレーキを備えていた。数度のカラーリングの変更やスペシャルバージョンの発売があり、2001年まで発売されたロングセラーモデル。
レーサーレプリカ:1980年代はロードレース選手権に人気が集まり、オートバイレースも盛んに行われた頃で、バイクメーカーがワークスレーサーとして製作したマシンを、公道走行可能にした市販車輌を多く発売した。そんな時期に誕生したワークスレーサータイプのバイクを「レーサーレプリカ」と呼ばれるようになった。
TZR250:ヤマハが1985年に発売したオートバイで、水冷2サイクルエンジンを搭載し、フルカウルを装備したレーサーのような外観のマシン。3度のモデルチェンジをし、1999年まで発売された。250ccだけでなく、50cc、125ccのマシンも作られた。
NSR250R:NSR250RはWGPで活躍した競技車輌であるワークスレーサー「NSR500」のレプリカモデルとして、1986年に登場した水冷2ストローク90度V型V2エンジンを搭載したタイプ。4度のフルモデルチェンジを行い、1999年に発売を終了した。50cc、80cc、125ccなどがあり、発売から13年間レーサーレプリカバイクのトップの座を走り続けた。
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| > これでレースに火がついた?
いや、火はつかなかったですね(笑)。そこから本格的にレースを始めるのに、約10年もかかっていますから……。でも「どこかに行きたい」という気持ちは常にもっていて、北海道や海外などに走りに行きたいと思っていましたね。そういった部分の欲求というものが僕は強かったから、それに合わせて色々なこともするようになりました。
> それからクロスカントリーの世界に入っていったんですね。
オートバイは、免許を取得してからずっと好きでしたから、オートバイに関わる仕事が出来ないかな?と考えました。しかしバイク屋さんくらいしか頭に思い浮かばない。そんななかでたまたま見ていた雑誌に「エディター募集」というのがあって、じゃあバイトでもしてみようと応募しました。そこで2年間バイトして、無謀だったんですけど20歳にはフリーのライターとして独立しました。今思うと、よく生活出来たなと思います。
そうやってオートバイと接する生活を送っていましたし、オートバイ業界の人ともつながりを持っていました。その頃レースはすごく人気があって、レースの取材をすることもあったし、そんななかでレースに出場することもありました。
> しかしそれでも本格的ではなかったのですよね。
レースは年に2回ぐらい出ていました。「パリダカ(パリ・ダカール・ラリー)」というレースに興味を持ちましたのもその頃だったと思います。80年から90年の頭の頃は、日本人が出ても完走出来ない。僕が出れば完走出来るんじゃないの?という気持ちが湧いてきました。僕にも負けず嫌いなところがあって、変な自信があったんでしょうね、その頃は……。
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クロスカントリー:車高を高くして、走破性を高めたクロカン車やオフロード用のオートバイで、舗装されていない山道や泥沼や岩地といった、一般車では走行が困難な場所を走る、ラリーレイド・モータースポーツ。MTBのレース種目のひとつでもある。
エディター:本(書籍・雑誌)や新聞などの刊行物などを編集する人のことを言う。出版社や編集プロダクションなどが職場となる。
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> 三橋さんはその頃パリダカにどのような魅力を感じていたのですか?やはり距離であったり、耐久性であったり、移動するといったことでですか?
いや、そのときはさっきも言いましたが「日本人が誰も完走したことがない」ということでしたね。自分のなかでレース(パリダカ)というものに対しての闘争心に火が付いたのだと思います。僕はそれまでスポーツで苦労したということがないんですよ。スキーやスノーボードもすぐに出来るようになりましたし、球技などにしてもそこそこのレベルまでは苦労しないで持っていけました。
> 器用なのですね。そのなかで、スポーツで熱中したものはありますか?
えっと……ね、ホントないんですよ。趣味のなかでは色々やりました。アイススケートは友達からシューズをもらって一時期リングに通ったりもしました。
僕は基本的に、体育会系のノリが嫌いだったんですよ。何かの競技をやろうと思うと、ほとんどの場合、体育会系にいかなければならないじゃないですか。例えば野球をやりたいと思ったときに、最初から野球をやらせてもらえない。タマ拾いから始めるしかないじゃないですか。それが嫌でしたね。
僕はそのスポーツでプロになるわけではないから、そのスポーツをすぐにやりたいと思う。僕はタマ拾いではなく野球をやりたい……と。そうすると必然的にそういったクラブ活動から遠ざかっていき、その競技から離れていってしまう。そういったことから、ひとりでやるスポーツを選ぶことが多くなりました。体を動かすのは嫌いではなかったから、何かをやりたいという気持ちは常に持っていましたね。
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> そういったことから、マウンテンバイクを楽しむようになったのですね。
そうですね、たぶん……。マウンテンバイクに乗って、東京都で一番高い山に登って降りてみたりとか、富士山にも3回くらい自転車を担いで登っていますね。まあ富士山に関しては、始めは一番下から担いで登って降りてきましたけど、だんだん年を重ねるごとに軟弱になって、クルマで5合目まで一気に行ってそこから登っていったり……。
> それ以前に、自転車で富士山に何度も登るという方がすごいと思いますが……。
富士山は5合目から山頂まで自転車を担いでいくと8時間くらいかかります。自転車を担いでいかないと5時間くらいで登れるのですが、でも帰り(下り)に自転車でズドーンと降りてくる感じには、換えがたいものがありますからね。本気で一気に降りると30分くらいなんですが、もったいないから休憩しながら1時間くらいかけて降りたりしますね。この快楽のためだけに、登りの辛さを我慢する。富士山の頂上から一気に降りてくる快感は、本当にやった人でないと分からない気持ちの良さがありますね。本当はヘリで頂上まで行って降りてきたいんですけど……ね(笑)。
> やはり基本的に、ひとりでやるという世界が好きなのですね。
他人と比べるのではなく全部自分本位で、自分が楽しめれば良いと思っていました。自分に快楽があれば良いという考え方でした。パリダカにしても、順位とかではなく、日本人が完走したことがないのであれば、完走してみたいというところから始まったものですしね。(第2回へ続く>>)
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